京都の夏の訪れを告げる「祇園祭」
祇園祭の色鮮やかな色彩に魅せられ、多くの人々が愛してやまない千年の祭りで、「紅」が良く似合います^^京都ならではの色「臙脂色」濃い紅色が祇園祭に花を添えますね。
そんな祇園祭の発祥の歴史とともに、意外とも思える異文化との融合を発見しましょう。
祇園祭は悪霊退散祈の祈願
今から1100年ほど前の869年、清和天皇の時代に、京の都で疫病が流行りました。
庶民の間に多くの病人や死者が出たのは、午頭天王のたたりであると信じられました。
ちなみにこの午頭天王、7歳で身長が7尺5寸(約229cm)3尺(役91cm)の牛角があったそうです。
祇園社(現八坂神社の前身)に病魔の退散を祈願して、6本の矛を立て御霊会を行ったのが起源との事です。
御霊会とは、思いがけない死を迎えた者の御霊によるたたりを鎮める祭り。
応仁の乱や第二次世界大戦などで度重なる祭りの中断があったのだが、今や1000年を超える歴史を持つ祭りとなった。
室町時代には、四条室町を中心とする町衆の自治組織が成立すると、町ごとに風情の凝らした山鉾を作って、巡業するようになったようです。
この「山鉾巡業」、祭りのハイライトとなっていますが、絢爛豪華な装飾品、実は外国製の物もあるのです。
山鉾はエキゾチック!
京都の町を練り歩く「山鉾巡業」ですが、全部で33基あります。
そのうち29基が重要文化財なのですから、歴史の重みを感じますね。
33基の山鉾の中には、異文化の装飾品を纏った山鉾があります。
- 「鯉山」
- 「鶏鉾」
- 「霰天神山」
- 「白楽天山」
1580~1620年頃にベルギー・ブリュッセルで作られたもので、約400年前(17世紀)に日本に入ってきたようです。
紀元前1200年頃の「トロイ戦争」をモチーフにしたタペストリーです。
伊達政宗の家来によって日本に持ち込まれたとされています。
「鯉山」の美しいタペストリーはこちら↓
「月鉾」
17世紀にインドで作られたメダリオン絨毯が前懸に使われています。
メダリオンとは、絨毯の中心に真円形や楕円形のメダルが描かれているものです。
「月鉾」のメダリオン絨毯はこちら↓
「北観音山」
見送幕の紅図百子喜遊図は、17世紀中国明朝の物です。
「北観音山」の明朝の装飾品はこちら↓
このように、純日本的なお祭りの中にある古きヨーロッパや中国・インドが見えますね。
日本的なお囃子の音の中に、異文化の香りが混ざり合いなんとも言えぬ神々しさがあります。
山鉾33基それぞれの個性を楽しみながら、夏の京都の祇園祭のみどころを巡ってみませんか?